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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)15号 判決

宮城県仙台市青葉区川内(番地なし)

原告

財団法人半導体研究振興会

同代表者理事

緒方研二

同訴訟代理人弁護士

吉澤敬夫

同弁理士

平山一幸

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 高島章

同指定代理人

山本一正

飛鳥井春雄

奥村寿一

関口博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成2年審判第4984号事件について平成4年12月4日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年5月28日、名称を「不均一不純物密度分布を有する半導体装置の製造方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和59年特許願第107730号)をしたが、平成2年2月7日拒絶査定を受けたので、同年3月30日審判を請求した。

特許庁は、この請求を平成2年審判第4984号事件として審理した結果、平成4年12月4日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は平成5年2月1日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

GaAs中に超階段接合を有する不純物密度分布を形成するために前記化合物半導体の主表面ないしはその一部にイオン注入法により不純物を前記化合物半導体領域に打込後に、前記化合物半導体をAs元素の蒸気圧によって満たされた雰囲気中で加えるAsの圧力をおおよそ〈省略〉として熱処理をすることを特徴とする工程を含み超階段接合を形成する半導体装置の製造方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  これに対し、昭58-112328号公報(昭和58年7月4日出願公開、以下「引用例1」という。)には、特に図面とそれに関連する説明において、

「GaAs中に所定の不純物密度分布を形成するために前記化合物半導体の主表面ないしはその一部にイオン注入法により不純物を前記化合物半導体領域に打込後に、前記化合物半導体をAs元素の蒸気圧によって満たされた雰囲気中で加えるAsの圧力を所定の圧力として熱処理をすることを特徴とする半導体装置の製造方法。」が記載されている。

また、「半導体ハンドブック(第2版)」(昭和52年11月30日柳井久義編 株式会社オーム社発行 第381頁ないし第385頁、(以下「引用例2」という。)には、特に図面とそれに関連する説明において、「GaAsバラクタ」、「超階段接合を有する不純物密度分布を形成したバリキャップダイオード」、「バリキャップダイオードにおいてイオン注入法を用いて不純物ドーピングを行っていること」が記載されている。

(3)  そこで、本願発明と引用例1に記載されたものとを対比すると、両者は、「GaAs中に所定の不純物密度分布を形成するために前記化合物半導体の主表面ないしはその一部にイオン注入法により不純物を前記化合物半導体領域に打込後に、前記化合物半導体をAs元素の蒸気圧によって満たされた雰囲気中で加えるAsの圧力を所定の圧力として熱処理をすることを特徴とする半導体装置の製造方法。」の点で一致している。

しかしながら、本願発明は、〈1〉超階段接合を有する不純物密度分布を形成する(相違点〈1〉)、〈2〉Asの圧力をおおよそ

〈省略〉として熱処理をする(相違点〈2〉)、という構成を有するのに対し、引用例1には、このような記載がない点で両者は一応相違している。

(4)  よって、相違点について検討する。

〈1〉 相違点〈1〉について

引用例2には「GaAsバラクタ」、「超階段接合を有する不純物密度分布を形成したバリキャップダイオード」、「バリキャップダイオードにおいてイオン注入法を用い不純物ドーピングを行っていること」が記載されている。

そして、バラクタもバリキャップダイオードも半導体装置であるから、引用例1の半導体装置において、引用例2のGaAsバラクタのようなGaAs中に、バリキャップダイオードのような超階段接合を有する不純物密度分布を形成することは、当業者であれば必要に応じてなし得ることである。

〈2〉 相違点〈2〉について

「Asの圧力をおおよそ

〈省略〉として熱処理をすると完全結晶が得られる」ことは周知技術である〔Journal of Crystal Growth31(1975)215-222 J. Nishizawa, Y. Okuno and H. Tadano: NEARLY P ERFECT CRYSTAL GROWTH OF Ⅲ-Ⅴ COMPOUNDS BY THE T EMPERATURE DIFFERENCE METHOD UNDER CONTROLLED VAPO UR PRESSURE(以下「周知文献」という。)参照〕から、表面状態が良好な結果を得るため、引用例1のAsの圧力を、このような数式から得られる値で熱処理することは当業者であれば必要に応じてなし得ることである。

したがって、本願発明は、引用例1の「半導体装置の製造方法」において、上記引用例2の「超階段接合を有する不純物密度分布を形成し」、その際のAsの圧力として上記周知技術の数式を用いたものにすぎず、このようにすることは、当業者が格別の創意工夫を要することなく、容易に想到し得ることである。

(5)  してみると、本願発明は、当業者が引用例1、2に記載された発明及び周知技術に基づいて容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)は認める。同(2)のうち、引用例1にGaAs中に「所定の不純物密度分布を形成するために」との記載があることは否認し、その余は認める。同(3)の一致点の認定のうち、GaAs中に「所定の不純物密度分布を形成するために」との部分は否認し、その余は認める。相違点の認定は認める。同(4)〈1〉のうち、引用例2に審決摘示の記載があることは認めるが、その余は争う。同(4)〈2〉のうち、周知文献に審決摘示の記載があることは認めるが、その余は争う。同(5)は争う。

審決は、引用例1の記載内容を誤認して一致点の認定を誤り、かつ、相違点〈1〉、〈2〉についての判断を誤ったものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  一致点の認定の誤り(取消事由1)

〈1〉 引用例1には、GaAs中に「所定の不純物密度分布を形成するため」の技術は開示されていないから、審決のした一致点の認定は誤りである。

不純物の密度分布とは、基板表面にただ不純物が存在するというだけの状態を指すものではなく、基板の厚さ方向に不純物の密度の分布が一定の割合で変化している状態を指すものであるから、「所定の不純物密度分布」が開示されているというためには、少なくともこのような基板の厚さ方向の変化の状態が開示されていなければならない。

しかし、引用例1に示されている技術は、GaAs基板表面へのイオンの打込み量と、イオンを注入する際に一定のAs蒸気圧を加えることだけであり、同引用例には、基板表面の不純物について所定の密度分布はおろか、基板の表面の不純物密度、及びその深さも、基板の厚さすらも記載されていない。引用例1の発明は、基板表面に一定量以上の不純物が存在しさえすればよい、ホール測定あるいは例えばFETなどの半導体装置を製造する技術に応用されるものであって、本願発明のような基板の厚さ方向に従って不純物の密度が変化する状態を得ようというものではないのである。

〈2〉 被告は、乙第1号証の記載を引用して、半導体装置の製造において、所定の不純物密度分布を形成することは、当業者が当然考慮している設計上の事項である旨主張するが、乙第1号証と同一の文献である甲第18号証の158頁、159頁に、GaAsなどの化合物半導体におけるイオン注入技術はSi(シリコン)における技術とは格段の差異があり、到底実用化の段階に至っていないことが明記されていることからも明らかなように、引用箇所の知見は、従来のSiダイオードについてのみ当てはまるものであり、当時の技術水準においては、本願発明におけるGaAsのような化合物半導体については全く適用できないものであるから、上記主張は理由がないものというべきである。

(2)  相違点〈1〉の判断の誤り(取消事由2)

〈1〉 引用例2の385頁に記載されている「超階段接合バリキャップダイオード」は、本願発明の対象であるGaAsダイオードに関するものではなく、従来のSiダイオードに関する記述にすぎない。このことは、同記述が記載されている欄の冒頭に、「半導体材料としては、不純物濃度分布の制御のしやすいSiが一般に用いられており」(甲第14号証384頁右欄2行ないし4行)と記載されていることからも明らかである。本願出願当時の技術では、GaAsダイオードに超階段接合を得る技術そのものが全く確立されていなかったのである。

前記のとおり、引用例1にはGaAsに関する技術の記載はあっても、超階段接合などの不純物密度分布を制御する技術思想は存在せず、その技術に関する一切の示唆もなく、また、引用例2には、Siについての超階段接合の技術の記載はあっても、当時困難視されていたGaAsについての超階段接合を得る技術についての開示も示唆もないのであるから、引用例1の半導体装置において、引用例2のGaAsバラクタのようなGaAs中に超階段接合を有する不純物密度分布を形成することが当業者に容易であったとの審決の判断は誤りである。

〈2〉 被告は、イオン注入技術は不純物密度分布を正確に制御できる技術として従来よりよく知られており、この特徴は、イオンが注入される半導体材料の種類によって変わるものではない旨主張する。

しかし、甲第18号証中の「6.6.1 Ⅲ-Ⅴ化合物(GaAs)への応用」の項の記載(158頁、159頁)によっても明らかなとおり、本願出願当時、GaAs半導体におけるイオン注入技術には様々な困難性があり、そのころ確立されていた元素半導体であるSi半導体における技術をそっくりそのまま適用できるようなものではなく、到底実用化の域に達していなかったのであるから、被告の上記主張は当業者の技術常識に反するものというべきであって失当である。

また被告は、GaAsなどの化合物半導体へのイオン注入がSi半導体の場合と異なることをある程度認めつつ、なおSi半導体における技術が化合物半導体に適用できる根拠として、GaAsなどの化合物半導体へのイオン注入の問題点を、熱処理の際に「化合物半導体表面が化学量論的組成からずれ、結晶欠陥が発生する」ことと決めつけ、この問題が解決されれば、GaAsなどのイオン注入技術の問題点がすべて解消されるように述べているが、これは技術常識に反する。結晶欠陥の問題は、化合物半導体へのイオン注入技術の問題点のひとつではあるが、結晶欠陥の問題さえ解決すれば化合物半導体へのイオン注入の問題点がすべて解決されるものではない。

更に被告は、引用例2にはGaAs中に超階段接合を形成する技術が記載されている旨主張しているが、もし、引用例2の超階段接合の記述がGaAsダイオードに関するものであるならば、同引用例にすでに超階段接合などの「所定の不純物密度を形成する」技術が記載されているということになり、審決がわざわざ引用例1を持ち出す必要はなかったはずであるし、また、被告の主張は、相違点〈1〉の判断についての審決の論理と相違するものである。

(3)  相違点〈2〉の判断の誤り(取消事由3)

〈1〉 本願発明の前記数式は、GaAs中に不純物をイオン注入で打ち込み、その不純物の密度分布を超階段接合とするために最適な蒸気圧制御の条件を規定したものである。このことは、本願明細書(甲第16号証)の発明の詳細な説明中の「従来技術」の欄や「発明の目的」の欄を一読すれば当業者にとって自ずと分かることである。すなわち、「従来技術」の欄には、本願出願前の技術では、Siのバラクタダイオードにあっては合金拡散法やイオン注入法等により超階段接合を有するものが得られていたが、GaAsの化合物半導体については、「どのようなAsの圧力が超階段接合を形成するのに適しているか明らかではない。」(3頁9行、10行)ことが明記されており、また、「発明の目的」の欄には、「GaAs等の化合物半導体のバラクタダイオードで特に良好な超階段接合を有し、容量変化率の大きいダイオードを容易に再現性良く得られるようにしたもの」(同頁12行ないし15行)であることが記載され、本願発明は、現実に特許請求の範囲に記載の構成によりその目的を達成するものであるから、上記数式が超階段接合を得るための条件を規定したものであることは明らかである。また、本願明細書には、実験結果としての第3図に、前記数式の条件によって良好な超階段接合が得られたことが説明されている。

一方、周知文献に開示されている技術は、結晶の完全性を得ることを目的としたものであって、本願発明におけるように結晶に不純物を打ち込み、かつその不純物の密度分布を好ましい超階段接合とするかどうかを検討したものでは全くない。周知文献の数式は、GaAsなどの結晶そのものについて、ほぼ完全な結晶を得るための蒸気圧と結晶成長温度との関係式である。

上記のとおり、本願発明の数式はGaAsに不純物をイオン注入で打ち込み、その不純物の密度分布を超階段接合とするために最適な蒸気圧制御の条件を規定したものであり、それに対して、周知文献の数式は、GaAs等の結晶そのものについて、ほぼ完全な結晶を得るための蒸気圧と結晶成長温度との関係式を示すものであって、本願発明のものと意味が異なる。

したがって、相違点〈2〉につき、「表面状態が良好な結果を得るため、引用例1のAsの圧力を、このような数式から得られる値で熱処理することは当業者であれば必要に応じてなし得ることである」とした審決の判断は誤りである。

〈2〉 被告は、本願明細書に前記数式によって処理した結果について「表面状態が良好な結果が得られた」と記載してあることをとらえ、前記式が超階段接合とは無関係な式であると強弁するが、該記載は文字どおり表面状態が良好であった結果を述べているにすぎず、該記載から前記数式が超階段接合と無関係であるとするのは論理の飛躍も甚だしい。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1について

半導体装置の製造において、所定の不純物密度分布を形成することは、その半導体装置が所定の機能、性質を有するようにするために当業者が当然に考慮している設計上の事項である。このことは、乙第1号証中の「イオン注入法を半導体プロセスに適用したときの特長としては、1.不純物の数および深さ方向分布はイオンの加速電圧、電流、注入時間により正確に制御できる・・・・4.不純物プロファイルを正確に制御できるため、接合深さの制御精度がよく、また複雑な形の不純物プロファイルを比較的簡単に作ることができる。」(5頁1行ないし12行)、「不純物の分布は半導体素子の設計上まず問題となる重要なものである。イオン注入した不純物の分布は第一に注入量、加速電圧および注入方向によって決まる。」(29頁1行ないし3行)との記載からも明らかである。

そして、引用例1の発明は、半導体装置の製造方法において、イオン注入されたGaAs化合物半導体の表面が化学量論的組成からずれて結晶欠陥が発生する問題を解決するため、As圧を加える発明であり(甲第4号証1頁右欄16行ないし18行、2頁右欄6行ないし9行)、特定の機能、性質を有する個々の半導体装置の製造にかかる発明ではないことから、引用例1には、具体的にどのように不純物密度分布を形成するかはいちいち記載されていないが、引用例1の発明が、半導体装置の製造方法であり、特にイオン注入による半導体装置の製造方法である以上、当然所定の不純物密度分布を形成することを前提としており、引用例1がこのことを示唆していることは明らかである。

したがって、引用例1には「GaAs中に所定の不純物密度分布を形成するために前記化合物半導体の主表面ないしはその一部にイオン注入法により不純物を前記化合物半導体領域に打込」むことが記載されているとした審決の認定、及び一致点の認定に誤りはない。

(2)  取消事由2について

乙第1号証にも記載されているように、イオン注入技術は、不純物密度分布を正確に制御できる技術として従来よりよく知られており、この特徴はイオンが注入される半導体材料の種類によって変わるものではなく、甲第18号証158頁17行ないし19行にも記載されているように、化合物半導体へのイオン注入の応用は意欲的に行われているのが現実である。

確かに、GaAs等の化合物半導体へのイオン注入は、Siへのイオン注入に比べ、制御性において劣っているが、それは、活性化のための熱処理の際、As等の構成元素が結晶表面より離脱し、化合物半導体表面が化学量論的組成からずれ、結晶欠陥が発生するからに他ならず、この点を解決すれば、イオン注入が化合物半導体を用いた素子の製造にも有効であろうことは、当業者の大方の認識であり、盛んな研究はこのことを十分に裏付けている。引用例1の発明は、この制御性を改善したものであるから、引用例1の発明を用いて、種々の素子を作成してみることは、当然至極のことである。

そして、超階段接合は、引用例2の383頁右下の「図6.5 pn接合の典型的不純物濃度分布の例 (c)超階段接合」の図に示されているように、周知の不純物密度分布であり、このような周知の典型的な超階段接合は、Si中だけに限らずGaAs中にも適宜、形成されているものであるから(引用例2の381頁右欄7行、8行、382頁右欄7行ないし10行、383頁左欄3行ないし5行)、引用例1の発明において、超階段接合を有する不純物密度分布を形成してみる程度のことは当業者が容易に考えられることである。

したがって、相違点〈1〉についての審決の判断に誤りはない。

(3)  取消事由3について

本願明細書には、「印加するAs圧をおおよそ〈省略〉近辺とすれば、表面状態が良好な結果が得られた。」(甲第16号証6頁4行ないし6行)と記載されており、本願発明の上記数式は、表面状態が良好な結果を得るための条件にすぎない。

もっとも、本願明細書には、漠然と「良好な超階段接合が形成できた。」(同号証7頁5行、6行)との記載があるが、これはイオン注入の条件等を定めて行った一実施例の結果にすぎず、特に本願発明の数式の意味につき、原告が主張するような、不純物の密度分布を超階段接合とするために最適な蒸気圧制御の条件を規定したものである旨の記載も、本願発明の数式の意味を根拠づける実験データもなく、原告の主張は根拠がない。

一方、周知文献の数式は、完全な結晶を得るための条件を規定したものであるが、完全な結晶を得るとは、構成元素が結晶表面より離脱していないことであり、良好な表面状態を得ることであるから、周知文献の数式は本願発明の数式とその意味する点において何ら相違しない。

したがって、表面状態が良好な結果を得るため、引用例1のAsの圧力を周知の数式から得られる値にすることは当業者であれば必要に応じてなし得ることであり、相違点〈2〉についての審決の判断に誤りはない。

第4  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。そして、審決の理由の要点のうち、本願発明と引用例1記載のものとの相違点の認定についても、当事者間に争いがない。

2  取消事由1について

(1)  引用例1に「GaAsの主表面ないしはその一部にイオン注入法により不純物を前記化合物半導体領域に打込後に、前記化合物半導体をAs元素の蒸気圧によって満たされた雰囲気中で加えるAsの圧力を所定の圧力として熱処理をすることを特徴とする半導体装置の製造方法。」が記載されていること、そして、本願発明と引用例1の発明が、上記の点で一致していることは、当事者間に争いがない。

ところで、乙第1号証(エレクトロニクス技術全書[8]「イオン注入技術」編著者 難波進 昭和50年2月28日 株式会社工業調査会発行)には、「イオン注入法を半導体プロセスに適用したときの特長としては、1.不純物の数および深さ方向分布はイオンの加速電圧、電流、注入時間により正確に制御できる・・・・4.不純物プロファイルを正確に制御できるため、接合深さの制御精度がよく、また複雑な形の不純物プロファイルを比較的簡単に作ることができる。」(5頁1行ないし12行)、「不純物の分布は半導体素子の設計上まず問題となる重要なものである。イオン注入した不純物の分布は第一に注入量、加速電圧および注入方向によって決まる。」(29頁1行ないし3行)と記載されていることが認められ、これらの記載によれば、イオン注入法による半導体装置の製造において、所定の不純物密度分布を形成することは、当業者が当然に考慮している設計上の事項であると認められる。

前記のとおり、引用例1の発明は、イオン注入法による半導体装置の製造方法に係るものであり、引用例1(甲第4号証)中の「一般に注入イオンを活性化せしめる熱処理温度では、化合物半導体表面が化学量論的組成からずれ結晶欠陥が発生する問題がある。」(1頁右下欄16行ないし18行)、「本発明は上記の欠点を解決すべく新たな方法を提供するものであり、化合物半導体のイオン注入層の電気的特性を向上させることを目的とする。」(1頁右下欄末行ないし2頁左上欄2行)、「As雰囲気中で熱処理場合移動度が大きくなるのは、GaAsの化学量論的組成からのずれが、As圧を加えることで抑制されるためであると推察している。」(2頁右下欄6行ないし9行)との記載からも明らかなように、引用例1の発明は、イオン注入されたGaAs化合物半導体の表面が化学量論的組成からずれて結晶欠陥が発生する問題を解決するために、As圧を加えているものであって、特定の機能、性質を有する半導体装置の製造方法に係るものではないことからすると、引用例1には、GaAs中に具体的にどのような不純物密度分布が形成されるかについて明示的には記載されてはいないが、当然所定の不純物密度分布が形成されるものと認めるのが相当である。

したがって、引用例1にはGaAs中に「所定の不純物密度分布を形成するため」の技術が記載されているとした上、その点においても、引用例1の発明が本願発明と一致しているとした審決の認定に誤りはないものというべきである。

(2)  原告は、引用例1の発明は基板表面に一定量以上の不純物が存在しさえすればよい、ホール測定あるいは例えばFETなどの半導体装置を製造する技術に応用されるものであって、本願発明のような基板の厚さ方向に従って不純物の密度が変化する状態を得ようというものではない旨主張するが、引用例1には、同引用例の発明が原告主張のようなものに限定される旨の記載はなく、採用できない。

また原告は、半導体装置の製造において、所定の不純物密度分布を形成することは当業者が当然考慮している設計上の事項であるとの点について、乙第1号証に記載されている前記知見は、従来のSiダイオードについてのみ当てはまるものであり、当時の技術水準においては、GaAsのような化合物半導体については全く適用できないものである旨主張する。

前掲乙第1号証と同一の文献である甲第18号証には、「6.6.1 Ⅲ-V化合物(GaAs)への応用」の項に、「化合物半導体へのイオン注入の応用は、pn接合(主として注入発光素子、受光素子)および欠陥による高抵抗層(素子分離、FET)を形成する目的から意欲的な研究が行われている。しかしながら主に以下の理由により、シリコンヘのイオン注入の場合ほど成果が得られていないし、研究者の間で一致した結果が得られない場合が多い。(1) 化合物半導体へのイオン注入に伴なって生ずる現象は、元素半導体の場合に比べてはるかに複雑であり、欠陥の構造や挙動に対する基礎データが不十分である。(2) 結晶性のすぐれた結晶、均一で再現性のある結晶を得ることがむずかしく、イオン注入効果を再現性よく捉えるのがむずかしい。(3) イオン注入やその後の熱処理法や取扱法により化学量論的ズレが発生し、電気特性に大きな影響を及ぼす。しかもそれを防止するための保護膜などの技術が完全でない。したがって、比較的まとまった結果が得られているのは、プロトンやO+イオン注入による高抵抗層形成とGaAsやGaAsPへのZn+イオン注入によるpn接合の形成であるが、実用化の段階に至っていない。」(158頁17行ないし159頁7行)と記載されていることが認められるが、上記記載によっても、上記文献の発行当時(昭和50年2月)すでに、化合物半導体へのイオン注入の応用の研究が意欲的に行われていたことは明らかであること、引用例1の発明の特許出願(昭和51年4月16日)は、乙第1号証(甲第18号証)の発行時の約1年後であって、イオン注入法を半導体プロセスに適用したときの前記のような特長や不純物の分布が半導体素子の設計上重要であることは、当業者には当然認識されていて、引用例1の発明のイオン注入法による半導体装置の製造においても、所定の不純物密度分布を形成することが設計上の事項として、当然の前提とされていたものと認めるのが相当であるから、原告の上記主張は採用できない。

(3)  以上のとおりであって、取消事由1は理由がない。

3  取消事由2について

(1)  引用例2(甲第14号証)に、審決の摘示した「GaAsバラクタ」、「超階段接合を有する不純物密度分布を形成したバリキャップダイオード」、「バリキャップダイオードにおいてイオン注入法を用い不純物ドーピングを行っていること」が記載されていることは当事者間に争いがない。

ところで、審決が引用した引用例2の381頁ないし385頁の記載をみると、同引用例には、「バラクタにはGaAsが広く使用されている」(381頁右欄7行、8行)、「n:接合付近の不純物濃度分布で決まる容量変化率。実際のバラクタ(ショットキーバリア形や拡散形)では、n=1/2.5程度であり、超階段接合では製法により異なるがn=1~3くらいのものが多い。」(382頁右欄5行ないし10行)、「GaAs材料の導入が可能となった現在では、GaAsバラクタが主流を占めている。」(383頁左欄3行ないし5行)と記載され、「図6.5 pn接合の典型的不純物濃度分布の例」のうちに、「(c) 超階段接合」が図示されている(383頁右下)こと、すなわち、GaAsを用いてバラクタを作成すること、及び、バラクタが接合付近の不純物密度分布を制御することによってn=1~3程度の超階段接合が形成されることが記載されていることが認められる。

そうすると、GaAs中に所定の不純物密度分布を形成する引用例1の発明において、引用例2に記載されているようなGaAsバラクタを作る目的で、GaAsの接合部が超階段接合となるように、GaAs中に所定の不純物密度分布を形成することは当業者が容易になし得ることと認めるのが相当であって、相違点〈1〉に対する審決の判断に誤りはないものというべきである。

(2)  原告は、引用例2の385頁に記載されている「超階段接合バリキャップダイオード」は、本願発明の対象であるGaAsダイオードに関するものではなく、従来のSiダイオードに関する記述にすぎないし、本願出願当時の技術では、GaAsダイオードに超階段接合を得る技術そのものが全く確立されていなかったのであるから、引用例1の半導体装置において、引用例2のGaAsバラクタのようなGaAs中に超階段接合を有する不純物密度分布を形成することが当業者に容易であったとの審決の判断は誤りである旨主張する。

甲第14号証によれば、引用例2の384頁右欄2行ないし4行には「半導体材料としては、不純物濃度分布の制御しやすいSiが一般に用いられており」と記載されているところ、同385頁左欄13行、14行の「超階段接合バリキャップダイオード」は上記記載を前提とするものであることが認められるから、ここでいう「超階段接合バリキャップダイオード」は、Siダイオードに関するものと認められる。

しかし、審決は、引用例2として「半導体ハンドブック(第2版)」の381頁ないし385頁の範囲を挙示しており、そこには、前記(1)に認定のとおりの記載が存するのであるから、引用例2には、Si半導体において超階段接合を得る技術のみが記載されているものと限定的に解するのは相当でない。

また、審決は、引用例2に記載されているものとして、「GaAsバラクタ」、「超階段接合を有する不純物密度分布を形成したバリキャップダイオード」、「バリキャップダイオードにおいてイオン注入法を用いて不純物ドーピングを行っていること」とのみ摘示するものであって、その措辞必ずしも適切とはいい難いが、前記(1)に認定のとおり、引用例2にはGaAsバラクタについても超階段接合についての記載があるわけであるから、ここでいう「GaAsバラクタ」というのは、前記認定のGaAsの接合部の超階段接合についての記載をも含めた趣旨のものとして摘示されているものと扱って差し支えないものというべきである。もっとも、上記のとおり引用例2にはGaAsバラクタについても超階段接合についての記載があるわけであるから、審決が「超階段接合を有する不純物密度分布を形成したバリキャップダイオード」を摘示するまでもなかったことになるが、このことが相違点〈1〉の判断の当否に影響を及ぼすものとは認め難い。

そして、前記(1)に認定の引用例2の記載によれば、本願出願当時、GaAsダイオードに超階段接合を形成する技術そのものが全く確立されていなかっとはいえないことは明らかである。

したがって、原告の上記主張は採用できない。

(3)  以上のとおりであって、取消事由2は理由がない。

4  取消事由3について

(1)  周知文献に「Asの圧力をおおよそ〈省略〉として熱処理をすると完全結晶が得られる」と記載されていることは当事者間に争いがなく、上記の事項は本願出願当時において周知の事項であると認められるところ、この完全結晶を得るというのは、構成元素が結晶表面より離脱していないことであって、良好な表面状態を得ることを意味するものと解される。

ところで、本願明細書(甲第16号証)には、本願発明の熱処理工程について、「印加するAs圧を〈省略〉近辺とすれば、表面状態が良好な結果が得られた。」(6頁3行ないし5行)と記載されていることが認められる。

そうすると、本願発明において、表面状態の良好な結果を得るために、引用例1のAsの圧力を、上記周知の数式から得られる値で熱処理することは当業者が容易になし得ることと認められる。

したがって、相違点〈2〉についての審決の判断に誤りはない。

(2)  原告は、本願発明の前記数式はGaAs中に不純物をイオン注入で打ち込み、その不純物の密度分布を超階段接合とするために最適な蒸気圧制御の条件を規定したものである旨主張する。

本願明細書の従来技術の欄には、「Siのバラクタダイオードでは合金拡散法、イオン注入法等により超階段接合を有するものが容易に実現できているが、GaAsのような化合物半導体のバラクタダイオードは・・・容量変化率の大きいものを得ることが困難である。」(甲第16号証1頁末行ないし2頁6行)、「GaAsにおいては、どのようなAsの圧力が超階段接合を形成するのに適しているのか明らかではない。」(同号証3頁8行ないし10行)と記載されているが、これらの記載は単に、従来技術では、GaAsにおいて、どのようなAsの圧力が超階段接合を形成するのに適しているか明らかでなかったことをいうものにすぎず、本願発明の数式と超階段接合との関係についていうものでないことは明らかである。また、本願明細書の発明の目的の欄には、「GaAs等の化合物半導体のバラクタダイオードで特に良好な超階段接合を有し、容量変化率の大きいダイオードを容易に再現性良く得られるようにしたものである。」(同号証3頁12行ないし16行)と記載されているが、この記載から直ちに、本願発明の数式が超階段接合を得るための条件を規定したものであると解することはできない。更に、本願の第3図は、本願発明によるショットキーバリアダイオードのC-V特性図であり、本願明細書には「良好な超階段接合が形成できた」(同号証7頁5行、6行)との記載があるが、これはイオン注入の条件等を定めて行った一実施例の結果にすぎず、第3図や上記記載から直接、本願発明の数式が良好な超階段接合を得るための条件を規定したものであるということを読み取ることはできない。

本願明細書を精査するも、他に、本願発明の数式が良好な超階段接合を得るための条件を規定したものであると認むべき記載を見いだすことはできない。

したがって、原告の上記主張は採用できない。

(3)  以上のとおりであって、取消事由3は理由がない。

5  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 押切瞳)

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